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ニャンコと隼と(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵の”しっぽ”的なブログです
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(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵
性別:
女性
職業:
OL
趣味:
料理とツーリング
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スコティッシュの木花咲耶姫との生活にも慣れ、
ニャンブサもゆっくり進化を遂げ、
(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵も
心機一転、日々精進しております

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11月15日

私の病院に行っている時に母からのmail
『病院から呼ばれて、危篤状態やから出来るだけ早く帰って来て』と。


ここからは長くなりますし、ニャンポコー2等兵の父の容態の続きですので、悲しい内容になりますので興味のない方はスルーしてください。

1件目の病院で処方箋を出して貰ったのをセブンイレブンでFAXし、
2件目の病院で点滴をして、いざ薬局で薬を貰おうと鞄の中を探すも
処方箋が無い!!
薬局で待たなくても良い様にFAXしたのに、処方箋をセブンイレブンに
忘れてきたのです。
普段ならバスで取りに行くんだけど、急いで香川に帰らないと行けないからタクシーでセブンイレブンに行って、薬局までタクシーを使いました。


薬をもらい、電車で家に帰り、喪服や靴、このちゃんを連れて帰る準備をし急いで、PCで時間表を探し、ブログに書き込みをして急いで家を出ました。


長女は京都、次女は東京、私は西宮、妹は香川。
私以外は、みんな結婚しているので縁起の悪い喪服は用意せず帰路についているらしい。
でも私は独り身だから、もしもの時に喪服を送ってくれる相手がいないので縁起が悪いけど持って帰ります。


7回目の手術の後に、実は8回目の手術をしています。
小腸が色んな所で出血をしていて手のつけようがない状態だったそうです。
でも、8回目の手術が終わって、暫くしたら容態も少し良くなったみたいで、少し安定していたので、母も主治医の先生も年は越せると思っていました。


15日の朝
父の容態が急変し、血圧がビックリするぐらい低くなり、糖尿病でもないのに『測定不能の血糖値』私の知り合いの糖尿病の方が血糖値が800になって吐血して入院したのですが、父はそれ以上で測定不能でした…

4人部屋から一人部屋へと移ったのもこの時です、この時点で長くないと病院側は分っていたと思います。


心拍数も弱くなり、血圧も22/15とかになったり…
なので、相当キツい薬が点滴で投与されていました。


私は三ノ宮から香川行きの高速バスに乗り、香川大学附属病院が近い『三木IC』で降り、母に迎えに来てもらい父に会えました。
  
父に会えた時は血圧は20~30を行ったり来たりで、昏睡状態でした。
私は父親っ子なので、父の最期になるかもしれないので写真をいっぱい撮って、
ずっと父の手を握って父の耳元で『父ちゃん、ニャンポコが来たで!!ニャンポコを置いて逝かんといてよ!!ニャンポコやで!!頑張ってよ!!』など、とにかくずっと話しかけました。

主治医の話では、耳だけが最後まで機能するので、ちゃんと聞こえてますから話しかけてあげてくださいと言われました。


妹も到着し、長女も何とか到着しました。

次女は東京なので16日の朝一の飛行機で帰って来るとの事。

父の姪、その姪の子も来てくれて…PM10:30ぐらいに消化器教授と主治医から話があるとの事で別の部屋に呼ばれた話の内容は
『心臓が止まった時の延命治療をするかどうか』でした。

延命治療とは所謂『心臓マッサージ』です。
私は『心臓マッサージをすると肋骨が折れるし、それが肺に刺さって痛い思いをさせたくないし、何よりマッサージをして1週間でも1年でも
長く生きれるのだったらして貰うけど、数分の延命しか出来ないのだったらして欲しくない』と言いました。

母も長女も同じ考えだったのですが、妹だけは『数分でも生きれるならしてもらう』と泣きながら言いましたがこれ以上しんどい思いをさせたくないやろって宥めました。


血圧が10台になり、私はモニターと父が見える位置を陣取って『とうちゃん、置いていかんといて』と泣きながら手をこれ以上ないぐらい強く握っていました。

母が『忠っさん、私のわがままをずっと聞いてくれてありがとう。ごめんな。』と言った瞬間、モニターの血圧が『0』になったのを私は見て『かーちゃん、ゼロになった…』としか言えませんでした。

後は涙がドンドン出て止まらず座り込んでしまいました
私たちは死に目に会えたけど、死に目に会えなかったのは次女だけで辛かったやろうと思います。


主治医が死亡時間を言います…
『11月15日夜11時39分 御臨終です』と。
ドラマのシーンそのままの光景を涙が止まらないまま見ている自分がいます。


ここまで父が何回も手術しても良くならないし、腸がこんなになるのが解らず、大学病院としての症例も無いらしく、出来たら病理解剖をさせて欲しいと主治医が言ってきたのですが
母は『これ以上、死んでまで主人の体にメスは入れて欲しくないです』と断っていました。

私としては父の事を最期まで知りたかったから病理解剖して欲しかったのですが母が拒んだので敢えて言いませんでした。

病名:すい臓ガン、肺血症、腹腔内膿傷、消化管穿孔

看護士さんが『体を綺麗に拭いてあげてください』と言ってタオルをくれました。

父の骨と皮だけになった細い体を拭いて色んな事を思い出しました。
父は178cmあり、バレーボールをしていて体はガッチリしていて背中は広く厚かった私の自慢の父。

小学生や中学生の時、毎日、父の背中をお風呂で流してあげた事や一緒に海に泳ぎに行って父の背中にくっ付いて泳いだりした事を…
でも、今、目の前にいる父の体は骨と皮だけ…
そう思うと余計に涙が溢れてきました。


死んで病院を出る時は、出口が違うんだけど…
車に乗せて、車が見えなくなるまで主治医と看護士さんは頭をさげてくれてました。


父を自宅に帰宅させ、葬儀屋さんに連絡をします。
1時間ぐらいして『枕飯とお団子』等を持って来てくれました。
死に装束を母と姉妹で着せて、父の体にドライアイスをくっつけます。
この時、夜中の3時過ぎ
私は父の隣りで仮眠を取りましたが…やっぱり殆ど眠れませんでした。


16日、父の通夜です。

父を入棺した時に玄関から『鳩』が入って来て、御棺の上をくるっと回って出て行きました。
で、その後に『すずめ』も入って来て御棺の上をぐるっと回って出て行きました。

父はよくすずめにご飯をあげていたので、すずめもお別れに来たんやろうなぁと母と話をしていました。


私以外の姉妹はみんな2歳の子供を抱いているので、東京からの伯父さん達が泊まる為の掃除やちょっとしたご飯を作ったり買い物を頼まれたりと一人てんてこまい。

葬儀場に入棺した父を連れて行った後は母も色んな打ち合わせで殺気立ってます。

葬儀場の社員さんは母が見当たらないので、長女がいるのに何でか全て私に聞いてきます。
その度に私は走り回ったり、携帯をかけたり…座る余裕もないし、実際座れず、ずっと動いていました。

親戚の方々が来てくれているのでご飯を食べて貰って、私は親戚にお酒を勧めて、来てくれた事にお礼を言って回ります。
そして親戚が帰ると母と姉家族は葬儀場にて泊まります。



17日、父、忠の葬儀です。

葬儀場に来れない方用に自宅前で焼香場を設けます。
で、その自宅は自治会の方(講中)がお手伝いしてくれます。

なので、講中(こうじゅう)の方が来てくれて『すみませんがよろしくお願い致します』とお願いして葬儀場に次女と向かいます。
実家の父の車も母の車もMT車なので、久々に乗りましたがエンストせず乗れました。

母は火葬許可証等の書類を家に忘れたから取ってきて!!と私に言うのであわてて取りに帰ったりバタバタばっかりです


親戚の人には10時に折り詰め弁当を食べて貰っている間も葬儀屋さんは私に色々聞いてきます。
何とか色々こなしながら、親戚の方にお茶を出したり、お茶菓子を出したり。

葬儀中は、母、姉、妹は席に座って貰って、私は葬儀に来てくださった方にお礼を言ってお焼香してもらって…ずっと絶え間なく色んな方が来て下さいました。


葬儀中の家族紹介の時だけ前に出て頭を下げて、また後ろで来て下さった方々にお礼を言ってました。
葬儀が終わって皆さんが出棺で、お見送りで玄関に行く時も『ありがとうございました』とお礼を一人で言っていました。


母が位牌を持ち霊柩車へ、長女が遺影を持ち、次女と私はタクシーに乗り先導します。
長いクラクションを聞いて出発です。

タクシーが先頭で霊柩車、バスや車が連なって、実家の前を通ります。
実家の前でも長いクラクションを鳴らしました。そしてUターンをして火葬場に向います


火葬場に到着し、喪主である母が火をつけるボタンを押さないといけないんです。
私は泣きながら『絶対に押さないといかんの?押さんといて!』と泣きじゃくりました
母に『ピーピー泣かんの!』と怒られてしまいました。
ボタンを押してしまうと父が骨だけになってしまうのを私はしっているから…


母はボタンを押して、来た道とは違う道で葬儀場に戻ります。
私は辛くてジっとしていられないので、子供達をあやしたり、親戚の方々にお茶を出したり動いていました。

時間になったので、火葬場に戻り骨拾いをします。
竹と木の箸で二人で骨を拾います。私は叔父さんと拾いました。かーちゃんとも拾いました。

分骨は、あんまり良くない事だけど…
私はどうしても納骨までは父と一緒にいたいので、私は小さい骨壷に大好きな広い厚い背中の父の背骨をひとつ入れました。


仕上げを済ませ、初七日も済ませ、親戚でお膳を食べます
ここでもお酒を勧めたり、お茶を注いだり、空き瓶をよけて、お茶を出して貰ったり…

動き通しで少ししんどかったけど…しんどいぐらいが辛さを味わう時間がなくてよかったです。
長女家族は京都に帰るので見送って私たちも実家に帰りました。


色んな話を次女と母と私としてて笑ったり、泣いたり…
夜中4時ぐらいまで話をしていました


18日、朝

母は疲れや緊張の糸が切れたみたいによく眠っています。
次女も2歳の子をずっと抱いていて疲れてよく眠っています。

私は、東京の伯父達が泊まった家の布団を押入れにしまいにいき、ご飯を作ったり、掃除をしたり、満中陰志業者が数社
来たのを対応したり、家にお焼香来てくれた方の対応などしていました。

母が起きたのは夕方でした…よっぽど疲れていたのでしょう。
4ヵ月半の父の入院、毎日欠かさず、仕事が終わってから片道60kmある香川大学附属病院に通っていたのだから…


父と母は、本当に相思相愛だったんだなぁ~と思いました。
私にもそんな人が出来れば良いんだけど…

父が死ぬ10日前ぐらいにうわ言で『ニャンポコは?ニャンポコは?』とずっと言っていたそうです。
看護師さんが『ニャンポコさんって誰?』と母に聞いたら母は『娘です』と答えたらしいんだけど…
私は『愛人って言っといてくれたらよかったのにぃ』と笑い話で言いました。
父に最期まで心配させていた私は本当に親不孝者です。



19日~22日

直ぐに帰ると母が淋しいやろうと次女(東京)と私が実家に残って葬儀の後終いを手伝います。

次女の旦那様と義父、義姉と車で葬儀に来て下さったんだけど、母は姉を車で一緒に帰したかったんだけど、
姉はまだ帰りたくなかったので、母に『残って貰うって言ってなー』と頼んだんです。
そしたら母は『そんなん、申し訳なくて言えなん!帰りなさい』って一悶着。

なので、私が悪者になって、お義兄さんに『私だけでは母を手伝うのが心もとないので、姉に助けてもらいたいので、
姉をお借りしてもいいでしょうか?』と聞いて姉に残って貰いました(;・∀・)


出来るだけ母に家にいて貰って、姉と買い物に行ったりしました
その帰り道、自分達が育った町が綺麗に見える峠で町を見て…

『みかんロボ』の『表の顔』と『裏の顔』があるのに、初めて気づきました。
私は病院で点滴がずっと出来てなくて四肢の疼痛が酷いので22日に西宮に帰って来ました。


父の事を手術の時から今までずっと心配してくれたブログに来てくれていた皆さん
本当に本当にありがとうございました

父は私がブログをしているのを知らないし、皆さんが応援して下さっていたのを生前は知らなかったけれど、
天国に逝った今は、このブログも皆様の応援も知ったと思います。

父もきっと皆様の応援に天国から感謝していると思います
本当に本当にありがとうございました。
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コメントありがとうございます
(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵 URL
★たでぃパパへ
父へのお祈り、ありがとうございます
今年は爆走ミニスカサンタは自粛します…
なので、たでぃパパは私の分も楽しんでくださいねー
2011/11/29(Tue)23:52:32 編集
無題
たでぃ
故人の御冥福をお祈り申し上げます
2011/11/29(Tue)17:09:19 編集
コメントありがとうございます
(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵 URL
この度は一番コメントしにくい記事に父へのお言葉をありがとうございます

★HORI-Gさんへ
父へのお悔やみのお言葉ありがとうございます
ええ、本当に父は何度も何度も痛いのに『痛い』って言わずに手術をしてくれた父に脱帽でした。
またご一緒に走ってくださいね

★フロの飼い主さんへ
ありがとうございます
家族にも言われなかったので、頑張ったねって言葉が嬉しいです。
少しゆっくり心を休めますね

★ゆうさんへ
お忙しい中、父へのお祈り、ありがとうございます
そうですね、遣り残した事がいっぱいあったと思います。
そして一番の心配のタネの私を心配しながら亡くなりました。

★skyさんへ
お悔やみのお言葉、ありがとうございます。
母とのバトルを本日して、母親を泣かせてしましたorz
私は本当に親不孝者です
t-bi●dさんはおげんきでしょうか?
あの時、skyさんもお辛い気持ちだったんですね…
全然知らずに配慮も出来ずすみませんでした

★ゴリさんへ
お悔やみのお言葉ありがとうございます
ゴリさんもお父様を亡くされているんですか?
いえいえ、父へのお悔やみを言ってくれただけで私は元気になります、本当にありがとうございます
2011/11/28(Mon)00:18:23 編集
無題
ゴリ
謹んでお悔やみ申し上げます。

私も父が亡くなった当時の事が思い出されます。

ダメだ
励ましの言葉が思い浮かびません。

また元気な姿を見せて下さいね!

こんな事しか言えなくてすみません
2011/11/25(Fri)23:16:07 編集
無題
Sky
ご尊父様のご逝去を悼み 謹んでお悔やみ申し上げます
今はまだ 気が張っているようですが お体にはお気をつけて ご自愛ください
これからは お母様とのバトルも少し控えめにして
優しくしてあげてくださいね(バトルの方がお母様は 楽しいのかもしれませんが)

実は 数年前にニャンポコさんとt-b○○○さんにツーリングの声を掛けて頂いたときは 父容態が悪く病院に泊まり込んでいた時で 気が滅入っていました 
ツーリングには行けませんでしたが 少しの時間お二人にお会いして いい気分転換ができました
その後1週間ほどで父は他界いたしました

頑張りすぎる ニャンポコさん これからはゆるりゆるりと行きましょう
また一緒に走れる日を楽しみにしています
2011/11/24(Thu)23:05:28 編集
無題
ゆう URL
お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

お父様はまだ68歳だったんですね。
余りにも早すぎます。まだ、やり残したことが沢山有ったんでしょうね。

ご家族の皆様が一日も早く悲しみを乗り越えられますようお祈りいたしております。
2011/11/24(Thu)22:12:36 編集
お悔やみ申し上げます。
フロの飼い主
ニャンポコさん、頑張りましたね。
ゆっくり休んで下さい。
2011/11/24(Thu)22:10:47 編集
無題
HORI-G
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。

ただ何度も何度も手術と立ち向かい、その度に懸命に生きようとしたお父様の強さにはただただ脱帽です。

その甲斐あって家族みんなに見送られたことはきっと幸せだったと思います。

これからは病床からではなく、天からニャンポコさんのご家族を見守られることだと思います。

心労があると思いますのでご自愛くださいね。

また走れる日を楽しみにしています
2011/11/24(Thu)21:23:39 編集
コメントありがとうございます
(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵 URL
この度は一番コメントしにくい記事に父へのお言葉をありがとうございます

★Sevenfiftyさんへ
父への温かいお言葉、本当にありがとうございます。
お辛い事を思い出させてしまい、すみませんでした。
そうですね、暫くは実家と西宮の往復になるので姉達が中々出来ない分、父の為に、母の為に頑張ります。

★Amanojackさんへ
父へのお悔やみのお言葉、ありがとうございます。
そうですね、優しい父でしたので、きっと母の事も私の事も姉妹の事も見守ってくれると思います。

★凸凹2008さんへ
お久し振りです、お元気でしたでしょうか?
父へのお祈り、ありがとうございます。
私の思い、母の思いや言葉は届いていると私もそう信じています。

★チャラ松さんへ
お久し振りです、お元気でしたでしょうか?
お悔やみのお言葉ありがとうございます。
父は優しい父でしたし、母と相思相愛でしたので、きっと『ありがとう』と言ってくれていると思います。

★ひろしさんへ
お久し振りです、お元気でしたでしょうか?
父へのお祈り、ありがとうござます。
ええ、本当に死に目に会えない方も世の中には多くいる中で、私は大好きな父の死に目に会えた事は幸せでした。
きっと声は届いていると思いたいです。

★伊賀ブサ夫婦さんへ
この度はお悔やみのお言葉ありがとうございます。
伊賀ブサさんもお尊父様を亡くされたんですか…
そうとは知らずに…こちらこそ謹んでお悔やみ申し上げます。
お互いに笑顔になれるように頑張りたいですね
2011/11/24(Thu)16:37:56 編集
無題
ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。僕も今年は父親を亡くしましたので、ニャンポコさんのお気持ちはわかります。また笑顔で走りに行ける日を夫婦共々お待ちしておりますね。ゆっくりでいいので元気になって下さいね。お父様はいつもそばに居てはりますからね。
2011/11/24(Thu)16:08:15 編集
無題
ひろし
ご冥福をお祈りします
せめて死に目に会えてよかったですね。。
かけた声はしっかり届いていますよね。
2011/11/23(Wed)22:19:52 編集
ご冥福をお祈りします
チャラ松
ニャンポコ様

ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみを申し上げます。

私も最後の言葉はお父様へ届いていると思います。
そしてお父様はニャンポコ様、ご家族の皆様へたくさんの「ありがとう」の言葉を残して旅立たれたと思います。
今は疲れた体を労わって下さいね。
2011/11/23(Wed)19:56:36 編集
無題
凸凹2008
お父様のご冥福をお祈り致します。
最後の言葉はきっと届いていると思いますよ。
2011/11/23(Wed)11:55:23 編集
無題
Amano Jack
お父上様のご逝去、心からおくやみ申し上げます。
今はまだ辛いと思うけど、お母様のこと、
自分のことを考えて、
くれぐれも身体をいたわって下さい。
お父上様もいつまでも見守ってくれてると
思います。
早く元気出してね。
2011/11/23(Wed)10:47:23 編集
おはようございます
SevenFifty
ご尊父様のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。


わたしも父を亡くしているのでブログを読ませていただき涙が出てきました。
これからしばらくは法事などで自宅と実家の往復が増えますからにゃんぽこーさんも体調に気をつけてくださいね。
2011/11/23(Wed)08:30:32 編集
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